花巻市の名所・文化
ゆかりの人々、歴史、伝統
花巻市は宮沢賢治のふるさと。さらに萬鉄五郎などの世界的にも著名な先人を輩出しています。
また、花巻市には、縄文時代から近世にわたるまで実にさまざまな歴史的資料が残されおり、早池峰神楽や鹿踊などの郷土芸能が今も伝えられています。
歴史景観
花巻市には、縄文時代から近世にわたるまで実にさまざまな歴史的資料が残されています。あるものは当時のこの地方を知らせる手がかりとして、あるものはわたしたちの祖先の生活ぶりを教えてくれる資料として保存されてきました。ここでは社寺を中心に歴史の旅に出てみましょう。
兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてんりゅうぞう)
高さ4.73メートル。ケヤキ一木彫成仏として日本一を誇る像です。
平安時代、朝廷から派遣されてこの地を平定した坂上田村麻呂により完成されたものと伝えられます。地天女の両掌に立ち厳然と1200年をにらみ続けるその雄姿は見るものを圧倒させます。
所在地 | 花巻市東和町北成島5-1 |
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電話番号 | 0198-42-3921 |
アクセス | 釜石自動車道「東和IC」から車で約5分 |
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丹内山神社
平安時代、弘法大師(空海)の弟子、日弘によって創建され、藤原清衡公も厚く信仰をよせたと伝えられる神社。
壁画の彩色壁彫刻は名工千葉八重郎によるもので、本殿の厨子とともに県指定有形文化財に指定されています。また、雪の積もらない岩など境内に「七不思議」伝説のある不思議な神社です。
所在地 | 花巻市東和町谷内 |
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成島三熊野神社
延暦年中(782~806)征夷大将軍坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の時、この地で戦勝祈願をしたところ、難なく平定することができたことから神社を建立したと伝わる神社。春に全国泣き相撲大会が行われる会場としても知られています。
所在地 | 花巻市東和町北成島5-1 |
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電話番号 | 0198-42-3921 |
アクセス | 釜石自動車道「東和IC」から車で約5分 |
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旧小原家住宅
藩政時代の一般農家の住宅で18世紀中頃に建てられたものと推定されます。家畜を大切にし、一つ屋根の下でともに暮らした「南部曲がり家」の発生過程を知ることができる民家です。
所在地 | 花巻市東和町谷内 |
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早池峰神社
大同2年(807)、藤原鎌足の子孫、兵部卿成房が早池峰山頂に祠を建立したのが始まりといわれます。藩政時代には南部利直公の庇護のもと社殿が建立されました。現存する本殿は内陣柱を中心とした軸組や、軒回りの彫刻・装飾などに慶長期の堅実な手法が残されており、県の有形文化財に指定されています。
所在地 | 花巻市大迫町内川目 |
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花巻城時鐘
かつて花巻城二の丸の一角にあり、青銅製で高さ95センチメートル、口径78センチメートルの小形の梵鐘です。この鐘は盛岡城時鐘として造られましたが、盛岡城に新たに鐘が造られた際に花巻城に移されました。
鐘の中央部分には鋳造のいきさつが記してあります。
所在地 | 花巻市城内 |
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円城寺門
和賀氏の居城であった飛勢城の追手門が花巻城築城整備を行った際に移築された門です。構造は城門形式、2階建ての櫓門で、2階部分は白壁塗りです。花巻城住時の威容をつたえる唯一の現存建造物として貴重な文化財となっています。
所在地 | 花巻市城内 |
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花巻城西御門
花巻開町を記念して市が平成4年度から着手し6年度に完成しました。木造2階建てで「枡形脇戸櫓門(ますがたわきどやぐらもん)」と呼ばれる形式を採用した、勇壮な御門となっています。
所在地 | 花巻市城内 |
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清水寺
大同2年(807)、坂上田村麻呂が戦で効験のあった十一面観音像を祀ったことが始まりとされており、京都の清水寺、兵庫県社町の清水寺とともに日本三大清水と称される名刹です。前九年・後三年の両役のとき、源頼義および義家は康平5年(1062)七間四面の伽藍末社を建立したといいます。これは奥羽33観音補陀洛の一番礼所となっています。
所在地 | 花巻市太田21-5-1 |
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関連サイト | 清水寺 |
アバクチ洞窟遺跡
平成8年(1996)に東北で初めて弥生人骨を発見した遺跡です。縄文後期の層からも貴重な集石遺構などが出土しています。
所在地 | 花巻市大迫町 |
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大興寺
開山は永徳元年(1381)。建久8年(1197)に、地頭である稗貫氏が着任し、寺には現在も墓が残されています。約14センチメートルの土でできた聖観音像(別名、首縦観音)を祀った土仏観音堂があります。
所在地 | 花巻市石鳥谷町 |
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光林寺
弘安3年(1280)に開かれたといわれる古刹。長慶天皇が腰掛けて休んだといわれる「腰掛け岩」が入り口に残されています。
所在地 | 花巻市石鳥谷町中寺林 |
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新掘城跡
稗貫氏の家臣新堀氏の居城。周囲には宿、升形、殿屋敷、町小路、的場などの地名が残っています。
所在地 | 花巻市石鳥谷町新堀 |
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土仏観音堂宇
江戸末期の建物で、建物全体が透かし彫りの彫刻で覆われています。本堂は二間四面の総ケヤキ素木細工。弘化3年(1846)南部の名工といわれた花巻の高橋勘次郎親子が大和流の建築や見事な彫刻を残しています。
所在地 | 花巻市石鳥谷町中寺林 |
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