花巻市の名所・文化
ゆかりの人々、歴史、伝統
花巻市は宮沢賢治のふるさと。さらに萬鉄五郎などの世界的にも著名な先人を輩出しています。
また、花巻市には、縄文時代から近世にわたるまで実にさまざまな歴史的資料が残されおり、早池峰神楽や鹿踊などの郷土芸能が今も伝えられています。
宮沢賢治の ふるさと花巻
宮沢賢治(みやざわけんじ)
詩人・童話作家・農業指導者。
明治29年(1896)8月27日花巻市生まれ。
大正10年(1921)稗貫農学校教諭(大正12年から花巻農学校)。
大正13年(1924)心象スケッチ『春と修羅』、
童話集『注文の多い料理店』刊行。
大正15年(1926)羅須地人協会設立。
昭和8年(1933)9月21日死去。
菩提所は花巻市身照寺。
©林風舎
賢治祭(けんじさい)
毎年、宮沢賢治の命日である9月21日に、桜町の賢治詩碑がある場所で、賢治祭が行われます。
ここは、賢治がひとりの農民として自炊生活をした羅須地人協会(らすちじんきょうかい)の建物があった場所です。(現在建物は、花巻農業高校の敷地内に移設・保存されています。)
例年、賢治祭では献花、賢治の詩の朗読、賢治が作った歌の合唱、野外劇などが行われるほか、かがり火を囲んで賢治について語る座談会が繰り広げられます。
所在地 | 花巻市矢沢1-1-36 |
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電話番号 | 0198-31-2117(財団法人 宮沢賢治記念会) |
アクセス | JR「新花巻駅」から車で3分(2キロメートル) JR東北本線・釜石線「花巻駅」から車で15分(8キロメートル)、もしくは晴山行バス「宮沢賢治記念館口」下車、徒歩10分 |
イギリス海岸
花巻駅東方約2キロメートルにある賢治が命名した北上川西岸です。作品の中で「全くもうイギリスあたりの白亜の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。」と記しているとおり、賢治にとっての憧れからこの名を付けたといわれています。イギリス海岸は賢治が農学校教師時代、生徒を連れてしばしば訪れ、化石を拾ったりして地学の実習をした地でした。
所在地 | 花巻市下小舟渡 |
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電話番号 | 0198-24-2111(花巻市観光課) |
アクセス | JR「新花巻駅」からバスで10分、「里川口」バス停下車、徒歩15分 |
関連サイト | イギリス海岸 |
宮沢賢治童話村
宮沢賢治記念館のふもと、国道456号線の道路向かいに位置する宮沢賢治童話村は、賢治の童話の世界を体感できる施設です。
所在地 | 花巻市高松第26地割19番地 |
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電話番号 | 0198-31-2211 |
アクセス | JR「新花巻駅」から徒歩20分、車で3分(約2キロメートル) JR「花巻駅」から晴山行バス「宮沢賢治記念館」下車、徒歩3分 東北自動車道「花巻IC」・「花巻南IC」から車で15分(9キロメートル) 釜石自動車道「花巻空港IC」から車で10分(5キロメートル) |
関連サイト | 宮沢賢治童話村トップページ |
宮沢賢治イーハトーブ館
宮沢賢治記念館の正面門より南斜花壇を徒歩で8分ほど下りて行くと、白い外観の宮沢賢治イーハトーブ館があります。
ここは宮沢賢治の情報・交流センターとなっているほか、宮沢賢治学会イーハトーブセンターの事務局もあります。
所在地 | 花巻市高松1-1-1 |
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電話番号 | 0198-31-2116 |
関連サイト | 宮沢賢治学会イーハトーブセンター |
羅須地人協会
賢治が農耕生活を始め、付近の農民に農業や様々な芸術を教えたところです。賢治はこの建物で、昭和3年に病気になるまで自炊生活をしていました。現在も当時のまま保存され、花巻農業高校の生徒が清掃、管理しています。
所在地 | 花巻市葛1-68 |
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電話番号 | 0198-26-3131(岩手県立花巻農業高等学校) |
宮沢賢治記念館
宮沢賢治記念館は、詩や童話、教育、農業、科学と多彩な活動を繰り広げた賢治の世界に親しんでもらうための施設です。昭和57年(1982年)9月21日(9月21日は賢治の命日にあたります)に開館しました。
開館以来、賢治を愛好する方々や、全国各地からの観光客など、多くの方々が足を運んでます。
宮沢賢治記念館では愛用のチェロや、自筆原稿など賢治ゆかりのものの展示のほか、ビデオやスライド、図書資料などで賢治宇宙にアプローチすることができます。イーハトーブの世界をぜひ一度、あなた自身で感じ取ってみてはいかがでしょうか。
所在地 | 花巻市矢沢1-1-36 |
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電話番号 | 0198-31-2319 |
アクセス | JR「新花巻駅」から車で3分 東北自動車道「花巻IC」から車で20分 |
関連サイト | 宮沢賢治記念館トップページ |
花巻市 ゆかりの人々
新渡戸稲造(にとべいなぞう)
前五千円札に描かれた肖像画で知られる新渡戸稲造は、文久2年(1862)盛岡生まれ。幼少の頃からたびたび祖父のゆかりの地花巻を訪れていました。21歳で「太平洋の橋になりたい」とアメリカに留学。38歳に再び渡米して書いた英文『武士道』は、日露戦争終結に役立ちました。58歳で国際連盟初代事務次長となり、国際紛争を解決したユネスコを創設。昭和59年から平成17年までの20年間五千円札の肖像画となりました。『武士道』には多くの花巻武士の心が書かれており、約8キロメートルの新渡戸ロードを歩いて顕彰することができます。
所在地 | 花巻市高松9-21 |
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電話番号 | 0198-31-2120 |
アクセス | JR「新花巻駅」から、「新渡戸記念館入口」バス停下車徒歩3分 東北自動車道「花巻南IC」から車で15分 |
関連サイト | 花巻新渡戸記念館トップページ |
花巻新渡戸記念館
高村光太郎(たかむらこうたろう)
明治16年(1883)東京生まれ。24歳の時にアメリカで彫刻を学び、以後ロンドン、パリ、イタリアで過ごし帰国しました。大正3年(1914)10月、32歳で詩集「道程」を出版、12月には長沼智恵子と結婚しました。しかし昭和13年(1938)智恵子が52歳で病没。昭和16年(1941)59歳で詩集『智恵子抄』を刊行、大きな反響を呼びました。昭和20年(1945)5月戦火をのがれ、知人であった賢治の縁を頼り花巻に疎開移住し、晩年の7年間を農耕自炊しながら過ごしました。
昭和31年(1956)、4月2日没。享年74歳。
所在地 | 花巻市太田3-85-1 |
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電話番号 | 0198-28-3012 |
アクセス | JR「花巻駅」から車で約25分(13キロメートル) 東北新幹線「新花巻駅」から車で約35分(18.5キロメートル) 東北自動車道「花巻IC」から車で約20分(11キロメートル) |
関連サイト | 高村光太郎先生と太田小学校 |
高村山荘
萬 鉄五郎(よろずてつごろう)
明治18年(1885)花巻市東和町土沢生まれ。子供のころから絵に親しみ、東京美術学校に入学。強烈な色彩と大胆な筆づかいによる卒業制作の「裸体美人」は、日本の前衛絵画の先駆的作品といわれています。萬は大正3年(1914)、絵画制作に専念するため、故郷に帰り、独自の絵画を模索します。この後、再び上京し、土沢の風土と西洋の新しい美術表現を融合させた独自の画風を確立させました。萬鉄五郎記念美術館のある土沢は今も芸術の薫り漂う町並を残しています。
昭和2年(1927)5月1日神奈川県茅ヶ崎の自宅で死去。
所在地 | 花巻市東和町土沢5区135 |
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電話番号 | 0198-42-4402 |
アクセス | JR「土沢駅」から徒歩8分、JR東北新幹線「新花巻駅」からタクシーで10分 東北自動車「花巻南IC」・「花巻IC」から車でそれぞれ20分 釜石自動車道「東和IC」から車で3分 |
関連サイト | 萬鉄五郎記念美術館トップページ |
萬鉄五郎記念美術館