杵築市の名所・文化
杵築の歴史を学ぼう!
杵築のまちの中心部には、武家屋敷や石畳の坂道など江戸時代の面影を色濃く残した城下町の町並みが残っています。そして江戸の杵築から歴史を遡れば、古代・中世が見えてきます。まちには古の人たちの文化や遺宝が今も受け継がれています。
杵築の遺宝文化財
石丸宝塔
小柄でどっしりとした安定感のある国東塔。塔身に「奉納妙法華経三部」「元徳2年」(=1330)と刻まれていることから、なにか思いを込めて造立したことがわかります。
(国指定重要文化財)
所在地 | 杵築市大田石丸 |
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電話番号 | 0977-75-2414(生涯学習課(山香庁舎)) |
石風呂
上部に浴室、下部に火ぶくろの上下2階式のサウナのような石風呂です。床に薬草を敷き、治療用に使われたものです。
(国指定重要有形民俗文化財)
所在地 | 杵築市山香町大字山浦字長田 |
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電話番号 | 0977-75-2414(生涯学習課(山香庁舎)) |
木造倶利伽羅竜剣(くりからりゅうけん)
倶利迦羅竜剣は「不動明王」の化身といわれ、竜が剣を呑み込む姿の木造彫刻としては全国に例がありません。
(国指定重要文化財)
所在地 | 杵築市山香町大字小武1592 |
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電話番号 | 0977-75-2414(生涯学習課(山香庁舎)) |
奈多宮 木造僧形 八幡神坐像 女神坐像
いずれも榧材を用いた一木造りで11世紀から12世紀にかけての造立と思われます。僧形の男神像は応神天皇と伝えられ、伏し目がちで切れ長の目に長い耳たぶ、豊かな頬を表します。あご下に三道を刻み、広く広げた胸に膨らみの線を表すのは神像よりは仏像に近く、宝冠の女神像は神功皇后と伝えられ、もう1躯の女神像は比売大神と伝えられています。
(国指定重要文化財)
写真向かって左から:比売大神像、応神天皇像、神功皇后像
所在地 | 杵築市奈多229 |
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電話番号 | 0977-75-2414(生涯学習課(山香庁舎)) |
田原家五重塔
桂川源流の山麓に建つ五重塔。沓掛城主田原直平が死後の往生菩提を祈って生前造った墓(逆修塔・直平は至徳3年(1386)没)といわれています。昭和43年の解体積替えの際、延元4年(1339)の刻銘が発見されました。高さ約4メートル。均整のとれた美しさは県内随一と評されています。
(国指定重要文化財)
所在地 | 杵築市大田3501 |
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電話番号 | 0977-75-2414(生涯学習課(山香庁舎)) |
財前家墓地・国東塔群
国東の豪族『財前一族』の墓。中央に3基の国東塔があり、最大のものが祖先財前美濃守の墓と伝わります。しかし塔に刻まれた銘文から墓標ではなく、生前造られた逆修塔のようです。元応3年(1321)の銘があります。他の2基は墓標であることが判明しています。大小の国東塔、板碑、五輪塔など111基が並び、まさに野外石造物ミュージアムのようです。
(国指定重要文化財)
所在地 | 杵築市大田小野1609 |
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電話番号 | 0977-75-2414(生涯学習課(山香庁舎)) |
小熊山古墳
墳長120メートル前後の大分県下最大の前方後円墳。上空から見ると鍵の穴の形をした今からざっと1700年前の国東半島の有力者のお墓。九州最古の円筒埴輪が出土しています。600メートル南にある御塔山古墳とともに海上交通を掌握するために造られた古墳です。
(国指定級)
所在地 | 杵築市狩宿 |
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電話番号 | 0977-75-2414(生涯学習課(山香庁舎)) |
御塔山古墳
周りの周溝を含めると90メートルもある造出付円墳。径75メートル強の円形の山に出ベソみたいに5メートル程の四角い突出が付き、その周りに溝がめぐります。全国でも屈指の大きさの円墳で、今からざっと1600年前の国東半島の有力者のお墓。家や盾などいろいろな形をした埴輪が出土していますが、なかでも導水施設を模した木樋形土製品は九州で唯一出土です。
(県指定史跡、国指定級)
所在地 | 杵築市狩宿 |
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電話番号 | 0977-75-2414(生涯学習課(山香庁舎)) |
先人に学ぼう!杵築の偉人たち
麻田 剛立【あさだ ごうりゅう】1734~1799
天文学を究めた
江戸中期の天文学者・医者。本名、綾部妥彰。杵築藩の侍医でしたが脱藩して大坂に移り、西洋天文学の知識を取り入れ独自の暦学をたてました。月面にある「クレーター・アサダ」は、麻田剛立の名に由来しています。
元田 直【もとだ なおし】1834~1916
法政大学の礎
金丸鐵や伊藤修の先輩格にあたり、1874年(明治7年)「法律学舎」を開設し、フランス法律を青年に講授しました。これは日本における法律学校のはじめとされています。1880年(明治13年)に東京代言人組合(現東京弁護士会)の初代会長となりました。長崎上等裁判所判事を経て文部大臣森有礼の懇請により東京府学務課長兼東京師範学校長となり義務教育の普及発展に貢献しました。
写真/法政大学提供
一松 定吉【ひとつまつ さだよし】1875~1973
昭和初期の国務や逓信、建設大臣などを歴任し、杵築市の初の名誉市民となった政治家です。
一松邸
一松定吉氏の邸宅。昭和2年9月から2年間かけて建てられたこの邸宅は当時の贅と技術の枠を結集した造りで、木造建築の醍醐味をご覧いただけます。また、ここから見える杵築城と守江湾の眺めは絶景です。
所在地 | 大字南杵築193-1 |
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電話番号 | 0978-62-5761 |
重光 葵【しげみつ まもる】1887~1957
東京帝国大学独法科を卒業、外交官として活躍し、1945年(昭和20年)、東久邇宮内閣で三度目の外相となり、首席全権として「ポツダム宣言」受諾の降伏文書に調印しました。戦後はA級戦犯として服役後、鳩山一郎内閣で副総理兼外相となりました。
重光家(無迹庵)
重光葵が学生時代を過ごした邸宅。重光氏の遺品や写真、資料が展示されています。
所在地 | 本庄893-1 |
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電話番号 | 0978-52-2700 |