栗原市の名所・文化
悠久の歴史とロマン
「仙台藩花山村寒湯番所跡」を始めとして、史跡、無形文化財が数々ある栗原。また、有数の金属供給源として近代化に貢献し、当時の建造物も残ります。ぜひ栗原時空散策へお越しください。
歴史・文化
史跡「仙台藩花山村寒湯番所跡(せんだいはんはなや
まむらぬるゆばんしょあと)」
寒湯番所は秋田県湯沢市に通じる花山越えの秋田口の関所で、仙台藩仙北御境目寒湯番所と言われていました。御境目番所となったのは、伊達政宗公が岩出山入りした後の慶長年間からで、200余年間、往来する人と荷物の検問を行っていました。安政の初期に改築した、四脚門と役宅が現存しています。
門は伊達家の紋を配し、釘を使わずくさび止めした総ケヤキ造りの建物です。役宅に入って天井を見上げると、吹き抜けの太くたくましい梁のスクラムに、目を奪われます。柱の上のかまど神、釜男の面が往時の様々な出来事を語っているかのようです。1963(昭和38)年9月に史跡として国の指定を受けました。
市指定有形文化財「旧佐藤家長屋門・住宅《千葉周作
ゆかりの家》」
この建物は、花山草木沢小田にあった佐藤家住宅を移築したものです。この七代目当主重太郎は、この地で生まれ育ち、幕末の剣豪 千葉周作の剣士としての天分を認めた人といわれています。
建築年代は不詳ですが、形状、寸法、手法などからみて、約250年前後を経た古民家であり、江戸時代中期頃の上層民家の特徴を持つ大型民家の典型的な遺構です。(平成5年12月指定)
史跡 「山王囲遺跡」
山王囲遺跡は、縄文時代晩期から弥生時代前期(約2500~2000年前)の遺跡です。発掘調査でこの時代の竪穴住居の跡やお墓の跡などが見つかりました。当時の村に隣接する湿地部分からは布や漆塗りの容器や装飾品など、通常では腐ってしまうものが非常に良好な状態で発見され、この時代の工芸技術を知る上でたいへん貴重です。(昭和46年9月指定/写真提供:(有)ミヤギエンジニアリング)
重要無形民俗文化財 「小迫の延年」
小迫祭りは、三迫総鎮守の社として崇拝されている白山神社の例大祭で、春の農耕期を前に豊作を願って行われてきました。(昭和54年2月指定)
県指定無形民俗文化財 「一迫町鹿踊」
鹿踊は約400年の伝統を持つ民俗芸能です。江戸時代には藩祖・伊達政宗が愛好し、伊達一門白河家の御抱え鹿として手厚く保護されました。8人1組で踊ることから「八つ鹿」とも呼ばれます。かつては、旧暦7月17日に行われていた関の観音祭り以前に踊ることは禁止されていました。現在は、各種行事で踊りが披露されています。(昭和46年3月指定)
県指定無形文化財 「正藍染」
正藍染は奈良時代から伝わる最も古い染織技術とされています。現在は栗駒文字地区千葉家のみがその技法を受け継いでおり、千葉まつ江氏が県文化財保持者として認定されています。(平成22年11月指定)
近代化産業遺産
栗原市の「細倉鉱山関連遺産」が「有数の金属供給源として近代化に貢献した東北地方の鉱業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として、平成19年11月30日、近代化産業遺産に認定されました。「細倉鉱山関連遺産には、「くりはら田園鉄道」も含まれています。
細倉鉱山
1200年もの歴史をもつと伝えられ、主に鉛と亜鉛を産出しました。明治以降、近代資本により新技術が導入されて産出量が増え、明治28年には鉛の生産額が日本一になったこともあります。昭和62年に閉山。その後、高い製錬技術を生かして自動車廃バッテリーのリサイクル事業を開始し、今ではわが国の約15%もの鉛廃バッテリーを処理するなど、資源循環型社会の形成に貢献しています。
旧くりはら田園鉄道
大正7年の設立以来、主に細倉鉱山の鉱石・製品等や乗客を輸送し、鉱山と関連の深い産業鉄道として発展しました。また、その名のとおり栗原地方の田園風景の中を栗駒山に向かって走る姿は、多くの人に愛されました。平成19年3月に惜しまれながら営業を廃止しましたが、残された車両や設備、工具類などの多くの資料類は、国内でも第一級の鉄道史料といわれています。(写真:くりでん旧若柳駅)
ゆかりの人物
千葉 卓三郎(ちば たくさぶろう)
千葉卓三郎は、江戸時代末期の1852(嘉永5)年6月17日、白幡村(しらはたむら)(現在の志波姫地区内)で生まれました。
1881(明治14)年には、現在の日本国憲法の源流となっている「主権在民(※)」という考え方を基本にした「204カ条の五日市憲法草案」を起草して、国内はもとより国際的にも高い評価を得ました。
※主権在民(しゅけんざいみん)…国家の主権が国民にあること(国民主権)。日本国憲法の前文で、宣言している。
千葉卓三郎の肖像画
白鳥 省吾(しろとり せいご)
大正初期の日本の詩壇を代表する一人である白鳥省吾は、「農民の魂」をもって堂々と民衆詩を歌いあげ、詩史に一時代を画した。詩人・白鳥省吾の出現は、故郷の人々の喜びであり、誇りである。人々は「省吾さん」と親しみを込めて呼び、その詩を語り伝えている。
白鳥省吾記念館
大正14年東京にて