養父市の名所・文化
養父市の歴史を知る
養父市は今から1万年前に人々がくらした縄文遺跡の宝庫で、中世から近世にかけての重要な史跡や伝統文化も多くあります。こうした歴史と文化によって育まれてきた様々な伝統行事が、現在に受け継がれています。
歴史と文化財
養父市の地質
今から約250万年前に氷ノ山火山を初め、鉢伏山火山、杉ケ沢の轟火山、上山高原の大屋火山などが噴火し、その溶岩が固まった安山岩が現在の氷ノ山や鉢伏高原をつくっています。地質学でいう新生代新第三紀鮮新世にあたり、但馬など日本海地域で活発な火山活動が起こりました。この時に形成された安山岩の台地が200万年をかけて浸食されて誕生したのが落差98メートルもある県下最大の天滝です。このため養父市は兵庫県下でも最も滝の数が多い地域です。
氷ノ山
養父市の植生
養父市の山間部に点在する湿地には、近畿地方以西では稀少な氷河期の生き残り植物が多く見られます。氷ノ山山頂にある古生沼の湿地植物、鉢伏高原のミツガシワ、加保坂のミズバショウなどであり、いずれも県指定の天然記念物になっています。国指定の天然記念物は3本あり、樽見の大ザクラ(樹齢1000年)、口大屋の大アベマキ(樹齢400年)、建屋のヒダリマキガヤ(樹齢800年)が昭和26年に同時に指定されました。但馬地方の豊かな自然を示す大切なシンボルとなっています。
<樽見の大ザクラ>
所在地 | 養父市大屋町樽見 |
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電話番号 | 079-664-1628(社会教育課) |
関連サイト | まちの文化財(10) 樽見の大ザクラ/養父市 |
国指定「樽見の大ザクラ」
原始・古代
養父市は今から1万年前に人々がくらした縄文遺跡の宝庫です。県指定の史跡である別宮家野(べっくいえの)遺跡(早期)を初め、鉢伏高原遺跡(早期・前期)、杉ケ沢遺跡(早期から中期)などがあり、高原地帯を中心として縄文文化が花開きました。
古墳時代後期から飛鳥時代にかけて、但馬地方を代表する特徴的な古墳群が形成されました。大薮にある大薮古墳群は、県下でも有数の巨大な横穴式石室を有する古墳群で、4基の古墳が県指定の史跡となっており、但馬地方最大の石室をもつ禁裡塚古墳(きんりづかこふん)は特に著名です。つるぎが丘公園には、戊辰(ぼしん)年(西暦608年推定)の年号を記した鉄刀が出土した箕谷(みいだに)古墳群があります。鉄刀には、戊辰年五月(中)の文字が銅線で打ち込んであります。干支年号の入った刀剣は全国に2例しかなく、古墳群は国の史跡、鉄刀は国の重要文化財に指定されました。
中世
室町時代、但馬国は山陰地方に勢力を誇った山名氏の本国となりました。応仁の乱で西軍を率いた山名宗全の有力家臣は、「山名四天王」と呼ばれた垣屋(かきや)・太田垣・八木・田結庄(たいのしょう)という但馬の武将でした。このうちの八木氏の本拠地が国指定の史跡である八木城跡です。安土・桃山時代の1585(天正13)年、羽柴秀吉は、八木城主に播磨国の別所重棟(しげむね)を任命し、1万2000石の大名としました。八木は城下町として大いに栄えましたが、1600(慶長5)年の関ケ原の戦いの際、石田三成の率いる西軍に与しため廃城となりました。
<八木城跡>
所在地 | 養父市八鹿町八木 |
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電話番号 | 079-664-1628(社会教育課) |
関連サイト | まちの文化財(22) 八木城跡/養父市 |
国指定「八木城跡」
近世
妙見にある名草神社には、朱色が鮮やかな三重塔があります。これは江戸時代前期の1665(寛文5)年に出雲大社から贈られたものです。三重塔は高さ約23メートルで、室町時代に尼子経久が出雲大社に寄進したものです。また江戸時代に建てられた名草神社本殿・拝殿は、山陰を代表する妙見信仰の霊場として栄えたもので、大規模であるだけでなく彫刻は豪華で、国指定の重要文化財となっています。
<名草神社三重塔>
所在地 | 養父市八鹿町石原1755 |
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電話番号 | 079-664-1628(社会教育課) |
関連サイト | 出雲からやってきた三重塔/養父市 |
国指定「名草神社三重塔」
近世(学問)
学問の分野では、江戸時代後期、但馬聖人と呼ばれた儒学者の池田草庵が1847(弘化4)年に私塾・青谿書院を開きました。全国から集まった門人は673名を数え、豊岡藩・出石藩・福知山藩でも講義を行いました。池田草庵に学んだ人々は、明治の日本の近代化に貢献しました。能座に生まれた北垣国道(くにみち)は第3代京都府知事となり、琵琶湖疎水を1890(明治23)年に完成させました。草庵先生の教えを受けた豊岡藩士の浜尾新は、東京大学総長を2度勤め、他にも文部大臣の久保田譲、銀行家の原六郎などがいます。
近代(産業)
江戸時代の後期以降、但馬では養蚕が飛躍的に発展します。特に大屋町蔵垣に生まれた上垣守国(うえがき もりくに)は、養蚕研究と蚕種改良に努め、但馬・丹後・丹波地方で養蚕の神様として尊敬されました。1803(享和3)年に発行した『養蚕秘録』全3巻は、フランス語やイタリア語にも翻訳されて出版されました。日本の技術輸出の第1号と評価されています。我が国でも明治20年代まで発刊され続け、養蚕の教科書として広く使われました。
<上垣守国養蚕記念館>
所在地 | 養父市大屋町蔵垣 |
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電話番号 | 079-664-1628(社会教育課) |
関連サイト | 上垣守国養蚕記念館と交流施設/養父市 |
3階建の上垣守国養蚕記念館
養蚕秘録
近代(芸能)
江戸時代以後、農閑期に娯楽として農村歌舞伎が演じられました。葛畑の舞台は国の重要有形民俗文化財に指定されています。1892(明治25)年に建築されたもので、入母屋(いりもや)造り茅葺き屋根の建物です。独楽廻式の舞台で田楽返しの装置を備えているのが特徴です。
室町時代末期の様式を伝えるざんざか(こ)踊りが、九鹿(くろく)・若杉(わかす)・大杉で伝承され県指定の無形民俗文化財となっています。この踊りは、風流太鼓踊りといわれ、養父市を中心に広がっています。奥米地のねってい相撲は、平安時代の様式を伝える特殊な相撲で、これも県指定の無形民俗文化財です。
<葛畑の歌舞伎舞台>
所在地 | 養父市葛畑 |
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電話番号 | 079-664-1628(社会教育課) |
関連サイト | まちの文化財(47) 葛畑の農村歌舞伎舞台/養父市 |
国指定「葛畑の歌舞伎舞台」