北本市の名所・文化
語り継がれる伝承
北本には、長い間語り継がれてきた伝説や言い伝えが数多く残っています。伝説は、樹木や石、塚といった、具体的な場所やものに結びつけて語られ、表現されることによって、真実として信じられてきたのです。
伝説その1
石戸蒲ザクラと範頼伝説
源範頼は、源頼朝の弟で義経の兄。遠江国蒲御厨(とおとうみのくにかばのみくりや/現・静岡県浜松市)で育ったため「蒲冠者(かばのかじゃ)」と呼ばれる。頼朝に謀反の疑いをかけられ伊豆の修善寺で殺されたと伝えられるが、その死には謎が多く、隠れ生き延びたという伝説が各地に残る。ここ北本でも堀ノ内館に範頼が隠れ住んだと語り継がれている。
石戸神社
境内は範頼の館とも、鎌倉幕府の御家人石戸左衛門尉の館とも伝えられる堀ノ内館跡の一部にあり、社殿の裏には幅5メートル、高さ1メートルほどの土塁が残る。古くは白山神社と呼ばれ、本地仏として十一面観音を祀る。
所在地 | 北本市石戸宿3-43 |
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アクセス | JR高崎線「北本駅」西口から北里研究所メディカル病院行きバスで「北里研究所メディカルセンター病院」下車、徒歩約10分。または、「石戸蒲ザクラ入口」下車、徒歩約5分。 |
高尾阿弥陀堂
範頼の妻亀御前を追悼するために約700年前に建てられたと伝わる。元は泉蔵院という寺院の一部であった。荒川低地にせり出す大宮台地の最高点(標高32メートル)に建つ。境内には樹齢200年といわれるエドヒガンザクラも自生する。
所在地 | 北本市高尾6丁目365 |
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アクセス | JR高崎線「北本駅」西口から徒歩約50分。 |
東光寺と石戸蒲ザクラ
範頼の開基と伝えられる。石戸蒲ザクラは、追っ手から逃れてきたときについてきた杖が根付いたとも言われる。かつてその根本に置かれていた1233(貞永2)銘の板碑は全国で4番目に古いもので現在は隣接する収蔵庫に保管されている。蒲ザクラの根本にある石塔は、範頼の墓石であるという。
所在地 | 北本市石戸宿3丁目119 東光寺 |
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アクセス | JR高崎線「北本駅」西口から北里研究所メディカル病院行きバスで「北里研究所メディカルセンター病院」下車、徒歩約10分。または、「石戸蒲ザクラ入口」下車、徒歩約3分。 |
伝説その2
石戸城と一夜堤伝説
石戸城は、室町時代長禄年間(1457~60)頃、岩付、松山、河越の各城との連絡のために築かれたものと考えられている。扇谷上杉氏の家臣藤田八右衛門の居城にはじまり、永禄6(1563)年に北条氏による松山攻めの時には、上杉謙信が松山城救援のため石戸城に逗留した記録がある。北条氏の松山攻めの前年、北条氏邦は、北条氏政の命により秩父・鉢形勢を率いて上杉方のこの城を攻め、時の城主毛利丹後守との間に激しい攻防戦を演じたことが「関八州古戦録」に書かれている。毛利氏の守りは固く、北条勢は多くの死傷者を出したが、この時氏邦は、暗夜に乗じて城の東側の谷地に一夜にして土橋を築き、一気に城へ攻め上って勝利したという伝承がある。この土橋が現在「一夜堤」と呼ばれている。「一夜堤」は、石戸城跡と谷を隔てた東側の台地とを結ぶ長さ45メートル、幅5メートルほどの堤で、自然散策の遊歩道として市民に親しまれている。
石戸城跡
荒川の低地に突き出た舌状の台地に、室町時代長禄年間(1457~1460年)頃、扇谷上杉氏が築城した平城。1563(永禄6)年に上杉謙信が入城。江戸時代初めに廃城となったが、城の南に連なる家並は「宿並三十六軒」と呼ばれ中世の面影を残している。
所在地 | 埼玉県北本市石戸宿6-57 |
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アクセス | JR高崎線「北本駅」西口から北里研究所メディカル病院行きバスで「石戸蒲ザクラ入口」下車、徒歩約20分。 |
伝説その3
厳島神社と竜燈杉伝説
かつて厳島神社のこの場所には神様が降りてくると言われる大きな杉のご神木があり、この杉から天へ昇っていく竜がいたと伝えられていた。江戸時代、大風でこの杉が倒れ、その根本にできた池に地元の人が島をつくり厳島神社を祀ったという。
厳島神社
宮岡の谷津の最奥部の泉に鎮座し、社殿が低地にあるため階段を下りて参拝するという珍しい様式を採る神社。養蚕・安産・女性の守護神として信仰が厚い。御神体の弁財天は、1756(宝暦6)年、江戸神田の商人が祀ったと伝えられる。
所在地 | 埼玉県北本市高尾7-31 |
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アクセス | JR高崎線「北本駅」西口から徒歩約50分。 |