山陽小野田市の名所・文化
興味をもったら足を運んで、
実際に確かめてみよう!
近代化産業遺産や文化財、厚狭の三年寝太郎物語にちなんだポイントがたくさんあります。
近代化産業遺産
平成19年11月30日に経済産業省において、山陽小野田市に現存するセメント製造関連施設及び窯業関連施設が、日本の近代化に大きな役割を果たした歴史的な施設として『近代化産業遺産群』に認定されました。
県指定文化財「小野田セメント徳利窯」
旧小野田セメント株式会社が明治16年(1883年)に建造した最初のセメント焼成用の竪窯のひとつで、明治30年頃に焼成容量増加を目的として一部改造されました。焼成部分と煙突部分からなる煉瓦構造物で、高さは、焚口底部より約18メートルです。わが国に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として、近代窯業史上、高い価値があります。(昭和44年2月4日指定)
国登録有形文化財「小野田セメント山手倶楽部」
旧小野田セメント株式会社第4代社長笠井真三氏が、ヨーロッパ遊学の帰途、イギリスからコンクリートブロックの型枠を持ち帰り、ブロックを製造。大正3年(1914年)6月に完成しました。大正時代のブロック建築は大変珍しいものであり、建築史上貴重な建物です。(平成12年12月4日登録)
市指定文化財「旦の登り窯」
天保末年(1840年頃)陶工甚吉が登り窯を開き、製陶業繁栄へと繋がった往時を偲ばせる窯です。(平成6年12月14日指定)
厚狭の三年寝太郎物語
昔、長門の国は厚狭の里に、ものぐさな若者がいました。父親の庄屋さんは、村一番のお金持ちでしたが、毎日毎日寝てばかりいるので、いつしか村中のものに「寝太郎」と呼ばれ、物笑いの種にされていました。
その寝太郎が、3年3月をまるまる寝て暮らし、ある日ひょっこり起き上がると、「おとっつあん、わらじでいっぱいの千石船を用意しちょくれ」といいました。庄屋さんは寝太郎のいいなりに用意してやり、どこへ行くやも知れない千石船を見送りました。
厚狭を船出した寝太郎は、40日経った明け方、泥んこの擦り切れわらじをいっぱい積んで帰ってきました。「おとっつあん、大桶に水をはってくれ」またまた寝言のような寝太郎の頼みを庄屋さんはきいてやりました。
泥んこのわらじを桶の水につけて洗います。きれいに洗ったわらじは捨てても、泥水は大切に…。それからそーっと桶の上水を捨ててしまうとなんと!泥水の底には、ぴかぴか光る山盛りの砂金が!
寝太郎はこの砂金をもとに厚狭川をせき止め、大井出をこしらえ、かんがい用水路を作りました。荒地だった野原は豊かな広い水田に変わり、寝太郎は水田を全て村の百姓に分け与え、村おこしを成し遂げました。
厚狭駅の前には稲束とくわを持った寝太郎像が建っています。
寝太郎堰
寝太郎伝説にちなむ井堰です。現在の堰は昭和43年(1968)に完成しました。ここから厚狭盆地に灌漑用水を導入しています。平成18年(2006)1月に疏水百選に選ばれました。
寝太郎まつり
寝太郎荒神社
寝太郎権現様
(円応寺蔵)
文化財
県指定文化財「長光寺山古墳」
厚狭盆地を見下ろす標高約60メートルの丘陵頂部に位置する全長約58メートルの前方後円墳。後円部墳頂に2基の竪穴式石室が並列して築かれ、割竹形木棺が埋置されていたものと推定されます。(平成3年4月5日指定)
国指定史跡「浜五挺唐樋(はまごちょうからひ)」
寛文8年(1668年)に作られた排水用樋門。潮の干満で生じる自然の水圧を利用して開閉する招き戸など当時の工法を伝える貴重な遺構です。(平成8年3月28日指定)
県指定文化財「物見山経塚出土品」
昭和40年、物見山の山頂部に築造されたと推測される経塚跡から発見されました。写経文は約22センチメートル幅の薄手紙本で妙法蓮華経28品全巻を書写してありますが、巻首が欠けているので年代、施主等は不明です。写経文を納めた経筒は、外径5.2センチメートル、高長30.5センチメートルの鋳銅性で銅版の厚さと細身の筒身から中世初期のものと推定されます。(平成元年10月24日指定)
県指定文化財「木造十一面観音菩薩立像」
正歴2年(991年)花山法皇の開基による松獄山正法寺(真言宗)の本尊。像高167センチメートル、カヤ材の一本造りで、頭体部に内ぐりが施され、体部の背板裏の墨書銘によると、建久4年(1193)年の作で、県内9体の中で2番目に古いものです。(昭和60年4月16日指定)