日高町特集
[和歌山県]
日高町は、紀伊半島西部海岸沿いのほぼ中間点に位置し、北部は由良町に、東部は広川町および日高川町に接し、南部は御坊市および美浜町、日高平野に、西部は紀伊水道に面している総面積46.21平方キロメートルの町です。
気候は温暖で、耕地は肥沃にして、良質の米や野菜を生産し、山間部は果樹の生産地として気象条件、地質とも恵まれています。
海岸線は浜部と岩礁部からなるリアス式海岸で、風光明媚な海岸線を形成し、良質な漁港が立地しています。
さらに、歴史的資産である熊野古道をはじめ、全国的にも希少な黒竹の栽培が見られるなど、豊かな自然環境とともに、特色ある地域資源にも恵まれた日高町は、観光、レクリエーションの場としても多くの人々に親しまれています。
日高町のいいトコ!!
日高町で憩い・楽しむ
産湯海水浴場
煙樹海岸県立自然公園に指定されている日高町の海岸部は、和歌山でも屈指のきれいな海岸として、多くの人々に親しまれています。
西山ピクニック緑地
日高町南部、西山の頂上にあるこの緑地は、憩いの場として町民に親しまれています。
アサギマダラの谷
長距離を移動することから「旅するチョウ」として知られるアサギマダラ。日高町の西端に位置する西山は、毎年秋になるとアサギマダラが山頂付近に飛来する絶好の観察地点となっています。
日高町の名所・文化
熊野古道
「熊野詣」は、平安期に、現世とは異なる地と考えられた熊野に、浄土を求めた皇族、貴族らによって始まり、やがてその信仰は庶民にまで及びました。京都から熊野三山を巡る「熊野詣」の行程は往復約600キロメートルと考えられ、人々はこの長く険しい道のりを聖地への憧れと、さまざまな祈り、願いを胸に抱きながら、およそ20日から1ヶ月かけて往復したといわれています。
徳本上人
南無阿弥陀仏の念仏をひたすら唱えれば極楽往生できると説き人々を救った徳本上人。厳しい修行を行いつつ全国各地を行脚し民衆の中に生きた念仏行者は、貧富を問わず授戒を施し、将軍家から庶民まで幅広い人々から多くの支持を受けました。
クヌッセン機関長救命艇保管庫
1957年、デンマーク船エレン・マースク号が日ノ御崎沖で火災を起こしている日本船(高砂丸)を発見しました。日本人船員の救助活動にあたった際に殉難されたヨハネス・クヌッセン機関長と救命艇が打ち上げられた田杭地区に、救命艇保管庫が建設されました。
日高町の特産・名物
天然クエ鍋
日高の名物、クエ料理。クエは見た目が少しグロテスクですが、鍋や刺身にすると絶品で、内外の食通をうならせるほどの深い味わいです。町内の旅館、民宿で10月から3月ごろが旬。
さばコロッケ
紀州南高梅酢としょうがを混ぜ合わせ南蛮漬けにすることでサバの風味を引き立てながらも病みつきになる美味しさです。
黒竹
原谷地区では明治初期から黒竹の植林が始まりました。黒竹は淡竹(ハチク)の一種で、地上に出始めたころの色は、普通の青竹と変わりませんが、1~2年を経るうちに黒茶色になるのが特徴です。
熟練の職人が伐採した黒竹を900~1000度の高温の炎であぶり、幹から浮き出た油分を布で磨き上げることで、深みのある艶が生まれます。