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藍住町特集

[徳島県]

徳島県の中央を流れる吉野川の下流北岸に位置する藍住町は、旧吉野川と吉野川に囲まれたデルタ地帯で、板野郡のほぼ中央にあります。いわば、たゆまぬ吉野川の沖積が生み出した平坦な土地で、海抜はわずか5.17メートル。山がまったくない珍しい町です。

藍住町のいいトコ!!

藍住町で憩い・楽しむ

藍住町バラ園

園内には、大輪、中輪、つるバラ、ミニバラなどがあり、花色も代表的な赤系、ピンク系から複色・覆色、彩り系まで様々です。1株1株異なった魅力を持っており、ながめていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

所在地 藍住町矢上字原263-88(藍住町役場から北へ300メートル)

東中富親水公園

平成6年に「手づくり郷土賞」を受賞しています。この公園は浄化引水ポンプ設備を備えており、人工の滝を見ることができます。

東中富桜づつみ公園

旧吉野川に面した風光明美な公園です。公園内には石造りの水路や滝のほか、わんぱく広場や多目的広場が整備されています。

藍住町の名所・文化

藍の館

大藍商であった奥村家の旧屋敷13棟の建物と奥村家文書が、11代当主奥村武夫氏から藍住町に寄付されたのを機に、資料館を新設し、平成元年に開館しました。
藍の栽培・葉藍の加工に使用されていた道具、江戸時代から残る大藍商の屋敷、藍の栽培から葉藍の加工や藍染を行うまでの工程を再現した紙人形など藍の歴史を知ることができます。

奥村家住宅

奥村家住宅は、奥村家が藍商として経営を発展させた文化年間から明治20年(1887)頃に建てられた藍屋敷です。
主屋は、棟札から文化5年(1808)に建てられ、文政10年(1827)に2階を継ぎ足す増築がされたことがわかっています。明治20年には西座敷が建てられ、当時の贅を尽くした様子を見ることができます。
主屋は屋敷の北寄りに南面して建ち、中庭を囲むように南と東西の寝床(藍染料の加工場)や奉公人部屋など13棟が建っています。

勝瑞城館跡(しょうずいじょうかんあと)

勝瑞には、戦国時代に阿波を支配した三好氏の館跡であると考えられている大規模な遺跡があります。大きな濠や庭園跡、礎石建物跡の発見、そして、大量の遺物の出土。その中には稀少な陶磁器などが含まれていたことから、戦国時代に阿波の実権を握っていた三好氏の城館跡であるとして平成13年(2001)1月29日、国史跡に指定されました。

藍住町の特産・名物

阿波藍

藍は、室町時代には徳島の特産品でした。特に戦国時代では藍の需要が高まり、すくもの加工が本格化しました。江戸から明治にかけて最盛期を迎えた藍も時代の流れとともに移り変わりをみせ、化学染料の登場により大きな打撃を受けました。しかし、こうした町の伝統芸能を守ろうとする人たちは、現代の生活に藍をどう生かしていくかを提案しています。

洋ニンジン

藍住町は春先に収穫する洋ニンジンの生産地です。すぐれた味と色合いをもつ洋ニンジンとして、市場で高い人気を得ています。かつては藍を主産としていましたが、藍の衰退とともに阿波沢庵、シロウリの生産を経て、洋ニンジンが栽培されるようになりました。そこには藍作で培ってきたノウハウが洋ニンジンの栽培にも活きています。

みそ

藍住町は大豆の産地として知られていました。明治30年代になると、藍の栽培が減少するようになったため、多くの農家が大豆をつくりはじめたことから、それを原料として味噌醸造業が盛んになりました。製造と販売に力を入れている業者は、徳島県下はもとより、全国の市場に進出して阿波の味噌の名は広く知られるようになりました。

藍住町の業種別ガイド

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藍住町 わが街事典

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