上峰町特集
[佐賀県]
上峰町は古代から人の居住が確認されており、大和朝廷時代には米多国造(めたくにのみやつこ)として、応神天皇の曾孫・都紀女加(つきめか)王が着任、奈良・平安時代には、現在の国道34号付近を官道(大宰府から肥前国府=現佐賀市大和町=への駅路)が通り、多くの人が行き交っていました。平安末期には、源為朝(鎮西八郎)が九州平定に赴き、県内でも各所に伝説を残しています。上峰町の鎮西山は、鎮西八郎の居城があったとされ、屋形原は屋敷があった場所と伝えられています。江戸時代には長崎街道(江戸と長崎を結ぶ街道)が通ったことでさらに発展。現在の切通地区や坊所地区に定期的に市が立ち、宿場町としてにぎわいました。
上峰町のいいトコ!!
上峰町で憩い・楽しむ
鎮西山
四季折々の自然を楽しむことのできる鎮西山は町の北部に位置し、頂上(標高202メートル)からの展望はすばらしく、佐賀平野を中心に有明海、雲仙まで見渡すことができます。
上峰町中央公園
上峰町中央公園は平成14年9月に開園しました。ソフトボール2面分の広さを有する多目的広場の周りには、遊歩道や遊具、芝生広場等があり、町内外の皆さまに健康づくりとスポーツ技術の向上、ふれあいと憩いの場としてご利用いただいています。
上峰町民センター
上峰町民センターは、『「ヒト」と「文化」の交響空間。』をテーマに、平成7年1月に開館し、町民の皆様の交流の場としてご活用いただいています。
上峰町の名所・文化
米多浮立
米多浮立とは、江戸時代から米多地区に伝わる民俗芸能で天衝舞浮立の一種。2年に一度、老松神社秋祭(10月25日に近い土・日曜日)に奉納され、「天衝」と呼ばれる三日月型の被り物と独特の衣装を纏った踊り手たちが勇壮に舞う姿を見ることができます。
都紀女加王墓
5世紀ごろ目達原一帯に築造された古墳(目達原古墳群)のひとつで、全長約50メートルの前方後円墳です。応神天皇のひ孫にあたる、初代米多国造都紀女加王が葬られているといわれています。隣接する古墳公園には、目達原古墳群の主要な古墳が実際の七分の一の大きさで改葬されています。
江迎城跡
江迎から八枚にかけてのクリークは、中世の環濠集落の跡で、江迎城とこれを中心に発達した一ノ橋の集落跡です。圃場整備以前には、濠割で区画された「島屋敷」が残っていました。現在は、江迎の中ノ島を中心とする一部に昔の姿をとどめています。
上峰町の特産・名物