四條畷市特集
[大阪府]
大阪府の北東部に位置する本市は、市域の約3分の2を北生駒山地が占める緑豊かなまちです。
西部は、ところどころに農地や社寺、史跡を残す一方、2本の国道とJRの沿線を中心に市街地が広がっています。
中央部には、大阪平野を眺める飯盛山など北生駒の山々が連なり、そのほとんどが金剛生駒紀泉国定公園に指定されています。スポーツ・宿泊・研修施設などがある緑の文化園周辺には、市民だけでなく、近隣他市からも多くの人が自然を楽しみに訪れます。
東部の田原地域は、昔ながらの田園風景と平成初期に整備された落ち着いた街並みが混在し、魅力ある副核的地域が形成されています。
まちと自然、人と人とがほどよい距離でのびのびと過ごせ、〝市全体〟が〝自然体〟でいられる環境が四條畷市の魅力です。
四條畷市のいいトコ!!
四條畷市で憩い・楽しむ
四條畷市立野外活動センター
バーベキューや野外炊飯などを雨天時でも楽しめる日帰り利用型の施設です。夏季期間は、テント泊を中心に夜間利用や宿泊利用が可能です。
所在地 | 大字逢阪408-1 |
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電話番号 | 072(877)0778 |
四條畷市総合公園
公益財団法人日本サッカー協会から認定を受けた人工芝運動場や、野球もできる多目的広場として整備されており、スポーツレクリエーションの場として市民の皆さんに親しんでもらうことをめざしています。
所在地 | 大字上田原1359-3他 |
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電話番号 | 080(1496)0153 |
権現の滝
権現川ハイキングコースの途中にある高さ15メートルの滝で、八大龍王の姿を表すと伝えられています。
森の宝島
まず出迎えてくれるのは、長さ54メートルのつり橋。山並みを眺めながらたどり着いた先には、思わず駆け出したくなる広大な敷地が広がります。子どもたちに人気のジャンボすべり台やカラフルな木製遊具、木の汽車などが設置されています。
電話番号 | 072(879)6362 |
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四條畷市の名所・文化
国史跡 飯盛城跡
四條畷市と大東市にまたがる飯盛山の山頂に、南北約700メートル・東西約400メートル範囲に存在する中世の山城跡。1560年(永禄3年)に三好長慶が居城としました。長慶が権力を担っていたのはわずか4年あまりですが、この城は政権が所在する『首都』といえるような場所でした。2017年(平成29年)4月6日に、公益財団法人日本城郭協会により選定された「続日本100名城」のひとつです。
四條畷神社
1890年(明治23年)創建、小楠公墓所からまっすぐ東に突き当たった飯盛山麓に所在します。楠正行、正時ほか24人の将士が祀られています。
境内には楠木正成が湊川の決戦に向かうにあたり、西国街道の櫻井の駅で正行に今世の別れを告げながら短刀を手渡す場面「櫻井の別れ」を表した父子像も見られます。
所在地 | 南野2-18-1 |
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電話番号 | 072(876)0044 |
小楠公墓所(大阪府指定史跡)
正行の死後80年ほどして、彼の霊を弔うために小さな石碑が建てられ、左右に楠が植えられました。この2本は成長して1本に合わさり、石碑を包み込んでしまいました。樹齢600年以上に及ぶこの楠は大阪府指定天然記念物になっています。
アクセス | JR学研都市線四条畷駅下車西へ徒歩5分 |
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キリシタン墓碑(千光寺跡)
田原城主の菩提寺である千光寺跡から出土したもので、墓碑の人物は宣教師ルイス・フロイスの書簡にも記述のある、『田原礼幡(レイマン)』です。現在確認されている日本最古のキリシタン墓碑で、考古資料と文献史料に登場する人物とが一致した数少ない事例として大変重要な歴史資料です。墓碑は歴史民俗資料館で常設展示しています。
和田賢秀の墓(大阪府指定史跡)
楠木正成の甥にあたり、楠木一族の中でも武勇の誉れ高い和田賢秀は、正行らが自刃した後、高師直の陣に潜入していたところをかつて味方であった湯浅本宮太郎左衛門に討たれました。討死の際に敵将の首に噛み付きにらんで放さず、土地の人々は賢秀の霊のことを歯噛様(はがみさま)、転じて歯神様として崇めるようになりました。