広陵町特集
[奈良県]
広陵町は、奈良盆地の中西部にあり、大都市である大阪市へ直線距離約30キロメートルに位置しています。交通の利便性が高いことから、真美ヶ丘ニュータウン開発以降人口が急増し、奈良県で最も人口の多い町になりました。
町は、箸尾駅を中心として発展してきた北部地域、地元の靴下産業が息づく西部地域、のどかな田園風景が広がる東部地域、閑静な住宅街が広がる真美ヶ丘地域と大きく4つに分けられます。
町西部の「馬見古墳群」には多くの古墳が点在し、歴史ロマンあふれる景観が広がります。広々とした敷地の「竹取公園」は、四季の花と緑が美しい町民憩いの場。真美ヶ丘ニュータウンを南北に走る「かつらぎの道」は緑豊かな遊歩道です。広陵町は、暮らしの中で自然を感じることができる町です。
広陵町のいいトコ!!
広陵町で憩い・楽しむ
広陵かぐや姫まつり
平成7年から始まった「広陵かぐや姫まつり」は、竹取公園で開催される、人気のイベントです。
竹取公園
広陵町西部にある6.5ヘクタールの広大な公園。ちびっこゲレンデでのそり遊びやローラーすべり台など、ダイナミックな遊具が子どもたちの冒険心を刺激します。また、広陵町に吹く力強い風、心地よい風にのって幸せを運ぶこいのぼりが元気に泳ぎます。竹林や四季折々の草花が咲く花壇、芝生広場など、1日遊べる町民憩いのスポットです。
広陵パークゴルフ場
道具やルールがシンプルで、子どもから高齢者まで、幅広く利用できるパークゴルフ。百済にある広陵パークゴルフ場は、18ホールを備え、「ふれあい、健康、交流」をキーワードに、美しいグリーンの上で、幅広い世代が交流し、楽しんでいます。
広陵町の名所・文化
百済寺三重塔
聖徳太子が開いた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を前身とする日本初の官寺「百済大寺」の伝承地。優美な姿でそびえる三重塔は、鎌倉時代の建立と伝えられる重要文化財です。本堂は大織冠(たいしょくかん)と呼ばれ、談山神社の本殿を移築したもので兜跋(とばつ)毘沙門天像、十一面観音立像がまつられています。
巣山古墳
馬見丘陵の中央部に位置する大型前方後円墳。墳丘長220メートル、左右のくびれ部に造り出しを設け、周囲には水を湛えた周濠と外堤が巡ります。埋葬施設は後円部に竪穴式石室が2基あり、前方部にも小石室があります。出土品は、玉類、円筒埴輪、形象埴輪など多数あり、周濠からは『古事記』に記された「喪船(もふね)」(遺骸を載せる船)も出土。5世紀初めの古墳です。
牧野(ばくや)古墳
丘陵奥部にある直径約50メートルの大型円墳。墳丘は三段築成で造られ、二段目には全長17.1メートルの大型横穴式石室が開口しています。玄室内には奥壁に沿って横向きに家形石棺が安置され、その手前にも家形石棺が置かれていました。
副葬品として金環、玉類、馬具二組分、銀装の大刀、400本近い鉄製のやじり、58点の須恵器が出土しました。6世紀末葉の古墳で、押坂彦人大兄皇子(舒明天皇の父)の成相墓(ならいのはか)と考えられています。
広陵町の特産・名物
靴下
江戸時代には大和木綿の産地として知られた広陵町では、明治末期に靴下用の手回し編み機を導入。大正時代には自動編み立て機も導入され、農家が行う副業として広く定着しました。始まりから100年が経過し、日本一の靴下生産地である奈良県の中核産地として発展しています。各社がそれぞれの分野で用途や素材の異なる様々な種類の靴下を製造しており、長い歴史に裏打ちされた“技術力”と「どんな靴下でも町内で生産できる」という“多様性”が広陵町の靴下産業の特徴です。
プラスチック
昭和30年代前半に数軒だったプラスチック製造の事業所が、昭和40年代以降、プラスチック製品の急増と共に発展。積極的な設備投資と商品開発によって高品質な製品を生み出し、広陵町にプラスチック産業がしっかりと根づきました。現在は、日用雑貨品、食品用容器、医療用器材などを製造し、世界市場への展開も進めています。
なす
広陵町の豊かな水と肥よくな土壌を生かし、町を代表する特産野菜として、主に近畿圏の大都市へ年間を通して出荷されています。現在はより一層の生産性向上や、「サラダなす」など新しい品種も加えたブランド化に取り組んでいます。