河合町特集
[奈良県]
河合町は奈良盆地の西部、なだらかに起伏する馬見丘陵の北東部に位置し、総面積約8.23平方キロメートルの町です。町の歴史は古く、約15000年前の旧石器時代に人々の生活の痕跡が見られ、続く縄文時代以降、各時代の遺跡が残されています。
特に近世以降は大和川の水運の発達とともに栄え、明治以降は、果樹栽培とその商品化や灌漑水路網の実現など、奈良県下で最も進んだ農業が営まれていました。大規模ぶどう園づくりは、町の本格的な開拓事業とともに、大正期に始まりました。
現在、町域は西名阪自動車道、近鉄田原本線が走り、大阪、名古屋方面を結ぶ交通の要所となっています。
歴史遺産を保存し、豊かな自然環境と調和をはかりながら、大都市圏にアクセスしやすい住宅都市として発展しています。
河合町のいいトコ!!
河合町で憩い・楽しむ
産直市
まほろば夢市、商工会、和歌山県すさみ町などの協力により、地元の生産者が育てた安心で新鮮な野菜や果物の販売、地元物産品の販売や屋台の出店、ビンゴ大会、特産品のイノブタ肉や海産物が出店します。また、子ども向けイベントでは“あゆのつかみどり”や“移動水族館”、“ミニSL”、“米のつかみどり”などさまざまなイベントも行われます。
河合ふるさとの日「夏」
家族や友人たちと河合の魅力を感じることができるイベントです。ボウリング大会やこどもまつり、かわい燈花会などさまざまなイベントもあります。また、舞台や夜店などもあります。イベント最終に打ち上げ花火も上がります。
ふれあいの集い
子どもから高齢者、障害のある方たちが豊かで楽しい生活を送れるよう、ふれあいと支えあう町づくりをめざして毎年開催されています。ステージでは児童や小中学生による演奏や手話劇、合唱も披露され、玄関前にはたくさんの模擬店が軒を連ねています。また、健康コーナーも設けられ、栄養相談や血圧測定なども行われています。
砂かけ祭
午前に「殿上(でんじょう)の儀」、午後に「庭上(ていじょう)の儀」の二部に分かれて営まれます。「庭上の儀」で苗代作りから田植えまでの模擬的所作の中で参拝者と田人・牛役が雨粒に見立てた砂を掛け合い暴れる点が独特であり、大和の奇祭として知られています。砂かけが激しいほど、雨に恵まれて豊かな実りが訪れると伝えられており、古来より雨水に苦労した地域の切実な願いがこめられています。
河合町の名所・文化
佐味田宝塚古墳
全長約112メートル、後円部直径約60メートル、前方部幅約45メートル、4世紀後半に築造された町内最古の前方後円墳の一つです。明治14年(1881)に家屋文鏡を含む36面の銅鏡の出土で有名なほか、玉類、鉄刀、形象埴輪など多数の遺物が出土しています。
宮堂遺跡
宮堂遺跡では、縄文時代から集落が形成されていました。また、飛鳥時代以降の須恵器や、古瓦の破片が出土しており、和州廣瀬郡廣瀬大明神之圖が示す大規模な寺院が存在した可能性もあります。
廣瀬神社
廣瀬神社は水の神を祀る神社で、『日本書紀』に、天武天皇4年、西暦の675年に、天武天皇が命じて祀らせたという記事がでてきますが、河合は奈良盆地のたくさんの川が合流するところなので、もっと古くから水の神を祀っていたと伝えられています。675年以降、戦国時代に途絶えるまで、毎年4月と7月に、朝廷から勅使がやってきて、国を挙げての盛大な祭りが行われていました。古くは大忌祭(おおいみのまつり)と呼ばれていた祭りの一部が砂かけ祭になったと言われています。
市場のまちなみ
大阪湾と奈良盆地を結ぶ重要な交通路であった大和川沿いには、御幸ヶ瀬と呼ばれる船着き場(現在の御幸橋付近)がありました。多くの物資や人が行き交う御幸ヶ瀬の南側では、市が立ち並び、大いに賑わったことから「市場」と呼ばれるようになりました。現在でも残る古い街道沿いには水運で栄えた当時の面影が残っています。