海田町特集
[広島県]
海田町は、古くから交通の要衝として栄え、広島市の東部に位置する人口約3万人のまちです。また、様々な分野において偉業を成し遂げた人物を幾人も輩出してきており、誇りうる歴史と伝統や、水と緑に恵まれた豊かな自然を有しているまちでもあります。
海田町のいいトコ!!
海田町で憩い・楽しむ
海田総合公園
野球場・テニスコート・多目的広場のスポーツ施設、自然と親しむ散策道・四季の広場・フルーツガーデンやドッグラン、ロケーション豊かなせせらぎ広場などを整備しています。県内有数の大規模複合遊具である「クスノキ&ひまわりコンビネーション」は、お子様連れを中心に好評です。
所在地 | 東海田字蟻ヶ原 |
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電話番号 | 082-824-2433 |
日浦山(ひのうらやま)
標高345.4メートルの日浦山には、登山ルートが整備され、駅から近いこともあり、気軽に登山を楽しむことができます。約60分ですばらしい眺めの頂上へ。遠く宮島までも臨むことができます。季節の花々とのふれあいも、楽しみの一つです。
電話番号 | 082-823-9234(魅力づくり推進課) |
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瀬野川・河川敷ウオーキングコース
海田の中央北寄りをゆっくりと流れ、海田湾に注ぐ瀬野川は、気軽に水と親しめるスポットです。多くの人々がウオーキングを楽しみ、休日ともなると河川敷でデイキャンプや水遊びを楽しむ家族の姿も。冬には多くの渡り鳥が見られます。
海田町の名所・文化
旧千葉家住宅
広島藩では、幕府の書状や荷物を扱うことを「天下送(てんかおく)り」、藩のものを扱うことを「宿送(やどおく)り」と呼び、海田市では代々神保屋(千葉家)がこれにあたってきました。当時は、御茶屋や脇本陣に準ずる施設として、要人の宿泊などにも使われており、屋敷のつくりや庭のたたずまいにその様子がうかがえます。
所在地 | 海田町中店8-31 |
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電話番号 | 082-822-7373 |
三宅家住宅
三宅家(本家)は、屋号を「新宅屋」と言い、近世後期~近代と農業を基盤としながら、金融業を営んできました。旧山陽道に面して店を設けツシ二階建て、妻入の「主屋(江戸後期)」を北面して構えています。
南側の敷地背面には、河港に面した「裏長屋門」をつくり、両側をつなぐ敷地内には「土蔵群」を建て並べるなど、海田市の典型的な有力商人の屋敷構えとなっており、町の歴史を今に伝える建築物群として、平成29年に6棟が国登録有形文化財となりました。
所在地 | 海田町稲荷町(非公開) |
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十二神将立像(坂上寺阿慈谷坊)
十二神将は薬師如来の眷属で、十二体からなります。本像の像高は36.5センチメートル~42センチメートルで、檜の一木造、室町時代中期の作とされています。これらの像には、水中あるいは土中に埋まっていた形跡があり、腕や持物は失われています。なお、一体は後補のものであるようです。
所在地 | 東1丁目 |
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火ともしまつり
出崎森神社の秋祭り前夜に行われています。奈良時代の霊亀元年(715年)に出崎森神社が筑前の宗像神社より勧請されたとき、人々がたいまつをともして船を出迎え導いたことから始まったと伝えられています。海田町指定無形文化財です。
所在地 | 海田町寺迫2-15-25 |
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海田町の特産・名物
ほっぷ すてっぷ じゃんぷ
『ほっぷ すてっぷ じゃんぷ』は、かいた七夕さん実行委員会と梅田酒造が共同し、作った日本酒です。
海田町出身で日本人初の金メダリストである織田幹雄さんが金メダルを獲得した競技種目である三段跳びの跳び方『ほっぷ すてっぷ じゃんぷ』を名前とすることで、その功績を讃え、偉業を町内外に広くPRすることを目的としています。
海田さつまの素
『海田さつまの素』は、海田町及び周辺地域に伝わる郷土料理「さつま」を地域に残す・広めることを目的として、広島県立海田高等学校家政科の生徒さんが、さつまの会の協力を得ながら株式会社ますやみそと共同開発した万能調味料です。「伝統の味を残したい!」生徒さんの熱い思いが込められた一品です。