広川町特集
[福岡県]
広川町は、福岡県南部八女郡に位置し、東西約14キロメートル、南北5.4キロメートルの地域を占め、面積は37.94平方キロメートル(合併当時は37.73平方キロメートル)です。
東は刑部谷の諸山をもって八女市上陽町に界し、南は長峰丘陵をもって八女市に接し、西は筑後市、北は久留米市に界する耳納山系に囲まれた通称広川谷と呼ばれる広川盆地をなす地域です。
広川町のいいトコ!!
広川町で憩い・楽しむ
逆瀬ゴットン館
県内最大の水車(直径7メートル)が、ゆっくりのんびり「ゴットン、ゴットン」と音を立てながら回転しています。水車動力を使った搗臼(つきうす)4基、挽臼(ひきうす)1基が5時間かけて米をつき、水車米として販売しています。ログハウスの建物では、水車のひき臼でひいたそば粉に、逆瀬谷薬師堂の地下水を使ったこだわりの「水車そば」も堪能できます。
所在地 | 広川町大字水原2777番地1 |
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岩山公園
広川中核工業団地に隣接した小高い丘を利用した公園で、頂上には東屋が有ります。
竜光寺公園
広川中核工業団地の一角にあり、ため池を中心とした自然豊かな公園と野球場で構成されています。季節の木々を楽しみながら散歩やジョギングを楽しんだり、木製遊具で体を動かしたりすることができます。春の桜シーズンには、多くの人が花見に訪れます。
広川町の名所・文化
石人山古墳
5世紀前半ごろに八女丘陵の一部を利用して築かれた、全長約120メートルの前方後円墳。墳丘上の前方部と後円部のくびれのところに、石棺を守るガーディアン「武装石人」(阿蘇溶結凝灰岩製)が立っています。
石人の身長は約2メートル。「よろい」と「かぶと」を身につけています。現在顔はのっぺらぼうになり、上半身の模様は不鮮明になっていますが、江戸期の模写図には目・鼻・口が描かれ往時をしのぶことが出来ます。
また、家形石棺の屋根に彫刻された浮き彫り風の直弧文は全国的にも有名です。
弘化谷古墳
6世紀中ごろに築かれた装飾古墳で、八女地方最大級の円墳。
装飾壁画は年2回、一般に公開されています。公開日は毎年4月と11月の第2日曜日。
増永 祇園神社 丁切
増永区の祇園祭のときに立てられる楼門状の建築物。釘を1本も使わずに組み立てられ、飾り提灯が下げられます。丁切は町切とも書かれ、かつては町内各所に見られましたが、現在は増永区にのみ残ります。
広川町の特産・名物
久留米絣
久留米絣は、江戸時代後期、現在の福岡県久留米市に生を受けた井上 伝(1788~1869年)という女性によって発明されました。利発な一少女 伝12歳(1800年)時のインスピレーションから端を発した久留米絣、伝はその後も精力的に工夫を重ね、久留米絣の普及活動を続けました。さらに1844年ごろ、牛島ノシが、久留米絣の代表的柄とされる小柄を考案、また大塚太蔵が、絵や文字を自在に表現しようと工夫を重ねました。久留米絣は時代と共に奥行を増しながら、日本全国で認められ、今に繋いでいます。
八女すだれ
奈良時代に中国から伝わり、九州の竹工芸師が京都の貴族の寝殿造の仕切りとして献上したのが御簾の始まりと言われます。
竹の産地である八女では、江戸前期から竹工芸が盛んで、竹ヒゴを編んだ室内調度品のすだれが「八女すだれ」の始まりです。
「八女すだれ」は「八女すだれ振興会」会員のみが生産しています。
職人の手作業で生み出される「八女すだれ」は、八女地域の天然竹を使用し、節や色を揃え、足踏み織機に竹ヒゴを1本1本丁寧に入れ、経糸をねじりながら編む、昔ながらの技法で作られます。
ガーベラ
西日本一の生産量を誇り、花形・花色などの違う約150種類の品種を栽培しています。4月18日はガーベラの日としています。